今だからこそ皆様にお話ししますが、私は中堅ゼネコンの前田建設工業中部支店で水道や空調の設計管理の職についていました。祖母より涙声とも叫びとも取れる声で「すぐ帰ってきて」と言われ、信じられない思いで帰りましたがそこには変わり果てた父の姿がありました。それまではまったく元気で、前の週に松茸を一緒に取りに行ったばかりでした。突然の事で何が起こったか解らなかった状態でした。
そのすぐ後会社をどうするかという議論の時、母に涙目で、「こんな苦労が目に見えている世界はやめて、自分の築いてきた世界でがんばりなさい」と言われました。当時26歳の自分は「ダメ元でやってみよう」とその場で決断しました。想像も絶する苦労が波のように日々自分の襲ってきました。でも解決できない問題は人生にないと信じ、一生懸命がむしゃらにやっている状況であります。
今言える事は、自分の力では何一つ出来ませんが、亡き父や家族、社員、お客様、地域の皆さん、本当に多くの人に支えられて、ここまで無事に生きていられることを心から感謝します。亡き父の分まで皆様に恩返しできることを少しでも見つけて生きていこうと思っています。
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